新聞

前職を退職して2か月が経とうとしている。
早かったような短かったような、充実してるともしてないとも感じられ、悪く言えば時間だけが過ぎ去ってしまったような気もする。それでも再就職の為の準備をしたり、求人情報を見ては良さそうなところがあればその会社を調べたり、面接に行ったりしてるわけで、無為な時間ではないようにも感じる。
人間、心まで腐ってしまうと、頭の回転は衰えて、社会との付き合いも拒絶し、何もかもが嫌になるようで(自分がまさにそれ)病院へ行けばうつ病だなんだといわれるだろうけど、そこには頼らず復活してみせたいと思う。

我が家では3年前まで新聞購読していたが、読む時間が無く、解約してしまった。
ニュースや時事の概説なんてネットニュースやSNSでたくさん流れてるし、金払ってまで大衆思想を追わなくとも良いかなどと思ってたが、最近になって新聞を止めたことが、実は良くなかったのではと思うようになってきた。
文字を読むという行為はネット/紙面どちらも変わらないが、紙面だと記載のあるネタが限られており、好き嫌い問わず「とりあえず読んでおくか」となる。一方ネットニュースでは、検索者の傾向からおススメ記事が表示されるなど、知らぬあいだに好きなものばかりで満たされてしまい、考えや社会への興味が偏ってしまう。
典型的なものだと、ワクチン接種に否定的なネット記事を読むと、MSNやツイッターのおすすめが反ワクチン一色になる。つまり、自分の想いが満たされる記事ばかり表示されるので、正誤不明な出来事に対する情報に歪みが生じてしまい、現状の正しい情報を得ることができなくなる。(個人的にワクチンにたいしての賛否意見はありません。)

話が逸れてしまった。
先週の終わり、昼食後の暇つぶしで久々に新聞を買い読んでみたところ、「おもしろい」と感じたのだ。テレビやネットニュースにはない、新聞特有の文言表現がいとおしくなり、じっくり、1時間ほどかけて全面読み終えた。今まで、家に届いて「あって当たり前」で、それを読んだところで何か身を助けるわけでもなく、良い仕事に直結するわけでもなく、ざっくりと「世の中大変だなぁ」くらいであったが、久々の新聞は「おもしろい」と「表現のテンポの良さ」を強く感じた。それでいて国内/国際から地域/経済、文芸やスポーツ、洒落た漫画までついてくるのだから、心を満たすのに充分である。

それ以来、毎日コンビニに赴いては1紙購入し、眺めの良い公園で読むようにしている。
気のせいかもしれないが、退職後の憂鬱な気分や折り合いのつかない気持ちと向き合うようになれたかもしれない。これは自分勝手な推測だが、新聞内の興味のない記事を読むことが、心にゆとりを作ってくれているのかもしれない。心のゆとりが、過去との折り合いを促し、それらを受け入れ、人として再起するきっかけになれば良いと思いつつ、これからも読み続けていきたい。

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