乙女河岸
散策で栃木県小山市の乙女河岸へ行きました。
江戸時代の重要な物流・交通網として発展していったようです。
小山市中心部を南流する思川は、鉄道や道路交通網が発達する以前は江戸と直結し、人や物資を大量輸送するための重要な交通手段となりました。その沿川には荷物の積み下ろしを行うために多くの河岸が配置されましたが、中でも重要な役割を果たしていたのが、乙女河岸です。
乙女河岸の起源は戦国時代にまでさかのぼるとされますが、注目されるようになるのは慶長5年(1600)の「小山評定」からです。この時、徳川家康は会津の上杉景勝を討つべく小山に進軍しましたが、その際武器や兵糧を乙女河岸から陸揚げしたとされています。
帰路は大雨によって渡良瀬川筋の栗橋の舟橋が押し流されていたため、乙女河岸から乗船し武蔵野国西葛西に下船したことが「徳川実記」に記されています。それでこれを吉縁として、家康を祀る日光東照宮の造営や修復に際しては、その建築資材を陸揚げする重要な役割を果たすことになったとされています。
天気が良ければ日光の山々や富士山を眺めることができそうです。この日は曇天で肌寒く、山々を拝める天気ではありませんでした。
この日、ここからさらに西へ進み、出流山にいきお蕎麦を食べました。その写真は後日・・・。